この記事では「自己紹介」「男性育休取得きっかけ・苦悩」「男性育休が気楽とれる世の中に」「男性育休不安解消クラス」について熱くお伝えしていきます。
こんにちは、男性育休を1年取得した、サイト運営者の「イクダン先生」と申します。
略歴
イクダン先生といいます!
1989年生まれの32歳👨
教員経験10年
男性育休1年間取得 2021年・4月 ~ 2022年・3月
社内初の男性育休取得のためか、孤独、不安、パタハラを乗り越えました。
男性育休を取得したきっかけ
義母の末期がん → 働き方改革
ある日、妻がお腹の中に赤ちゃんがいるときに、義母が末期がんであるということを聞かされました。あんなに元気ではつらつとして、お酒をガブガブ飲んでいた義母がまさか…すぐには信じられませんでした。
しかし、その衝撃の現実を受け入れるしかありませんでした。当然、受け入れられず一番悲しんでいたのは妻でした。そんな、妻とお腹の中の赤ちゃんを守るために、これからの僕は仕事中心ではだめだと改心しました。
それまでの僕は、早出と残業が当たり前の教員で、朝7時〜帰宅は20時に帰ってくる生活で、家族との時間がほとんどとれていませんでした。月残業100時間が普通で、生徒のためだし仕方ないと思っていました。
さらに、仕事を持ち帰り、帰ってからも次の日の授業の準備や、行事の計画など、家でも仕事ばかりでした。加えて、土日も半日は部活動、その後は週明けの仕事を終わらせて帰宅していました。生活の7割以上が仕事に圧迫されていました。
しかし、このままでは「妻とお腹の中の赤ちゃんを守れない!」と感じ、本気で働き方改革を個人で実践することにしました。まず、小室俶恵さん著「働き方改革」を読みました。そして、僕でもすぐ実践できそうな仕事の見える化から実践しました。
すると、自分の仕事量があまりに多いこと、しなくても良い仕事も複数あること、他の人に頼んだほうがいい仕事があること、など多くの改善点が見つかりました。そこから、ムリ・ムダ・ムラの排除を徹底しました。それだけでも、かなり仕事量を減らすことができました。ただ、それでもまだ月残業は80時間をゆうに超えてしまいます。
さらに、働き方改革の本を読み進め、実践していきました。次の作業は、ムリ・ムダ・ムラの排除した仕事内容をさらに精選することでした。言い換えると、「自分がやるべき仕事だけに、力を注げる環境を作ること」です。
そして、精選された仕事を、「少ない時間で質高く」できるように効率化していきました。ここまできて月残業が60時間まで減らせました。
働き方改革の最後に行ったことは「仕組み化(マニュアル化)」でした。自分が行った仕事の効率化を組織で行う仕事にも応用し、僕以外の人でも、新人でもできるよう簡略化しました。
そうすると、自分にしかできない仕事(属人化)が少しずつ減り、自分の抱えていた大量の仕事を同僚に渡すこともできるようになりました。結果、月残業を40時間以内に抑えることができました。これでも、まだ多いですが、かなり心と体に余裕がうまれました。
家事も働き方改革
また、働き方改革を実践することで、視野が広がり、家事改革も実践することができました。やり方は同じで、まずは家事の見える化からはじめました。1日に30タスク以上あることに驚きました。
そして、ムリ・ムダ・ムラの排除に取り組みましたが、ここがあまり削れませんでした(これが家事の大変なところなのかも)。そのため、減らすことをあきらめ、どうやって負担少なく、効率よく家事をこなすかを考えました。
そこで、思いついたのが毎日必ず行うしかない「エッセンシャル(必要不可欠)な家事」を抽出し、それを時短家電で効率よく、ルーティンで負担少なくできる仕組みを作ることでした。まず我が家のエッセンシャルな家事は、「洗濯」、「調理」、「皿洗い」の3つでした。
そこで、「洗濯」は最強の時短家電「乾燥機付き洗濯機」を20万で購入し、夜寝る前にスイッチを入れ、朝起きてから仕事前にたたんで元の場所に戻すルーティンを作り改善しました。
次に「調理」には信頼の時短家電「圧力なべ」(本当は電気圧力鍋が欲しい)を2万で購入し、煮込む時間が大幅に減ったので、できた時間でその他の家事をするように工夫しました。
最後に、「皿洗い」は最高の時短家電「食洗機」を4万で購入し、夜にスイッチを入れ、寝る前には元の場所に戻すルーティンを作り、改善しました。
このように「働き方改革」を起点に、仕事と家事を少ない時間で質高くできる仕組みを作ることに成功し、時間と心の余裕を少し手に入れることができました。結果、家族との時間が増え、母の末期がんで悩み、1番苦しいときの妻を、できる限り側で支えてあげることができるようになりました。
義母の余命宣告
そんな日々を過ごしていたある日、妻が義母の入院している病院から連絡を受けました。「大事な話があるので、家族を呼んで病院にきてください」妻は看護師をしており、末期がん患者のいる病棟での経験もあるため、それが何を意味しているのかすぐにわかったそうです。仕事中だった僕に妻から連絡が来たので、職場には説明し、年休をいただき病院へ行きました。
そこで、病院の先生からの大事な話は「義母の余命宣告」についてでした。「これ以上は治療をしても効果は見込めない。あとは痛みを和らげ、少しでも穏やかな日々を過ごすことが1番です」覚悟はしていたものの、末期がんとわかってからも、都合よく奇跡的に治ってくれると信じていた僕たちは、ショックを隠しきれませんでした。
さらに、病院の先生から「本人には余命のことはまだ伝えていません。また、余生を穏やかに過ごす場所ホスピスへの移動も検討してください。正直、ホスピスへの移動は早いほうがいいです。本人へ伝える方法は、私から・家族からどちらかで選んでください。」誰も口を開けず、どうするか簡単には判断できませんでした。
「娘の産んだ孫を抱きたいから、それまでは生きたい」と何度も言ってくれていた義母に、余命宣告なんて言えるわけない。残酷すぎる。でも、現実を受け止めなくてはならないこともわかっている。こんなに苦しい気持ちは初めて味わいました。
そのまま、フワフワした気持ちで、義母の病室へ向かった僕たち。その場では、余命宣告については伝えることはできませんでした。たわいもない話をただしていました。
そんなとき、神様がチャンスをくれたのか、病室に入ってきた看護師がなんと、妻の高校の同級生の方でした。たまたまその日、義母の病室を担当していたみたいです。一旦病室を出て、すべて事情も知っている妻の同級生の看護師の方を含め、作戦会議をしました。
「本当に苦しいのもわかるし、伝えにくいこともわかるけど、家族みんなのために余命宣告を伝えることは早いほうがいいよ。一緒に動いてあげるからお母さんに伝えてあげよ。」友達だからこそ、厳しい選択に付き合ってくれたのだと思います。本当のやさしさとはこういうものなんだと感じました。
その日のうちに、家族みんなで集まり、病院の先生から、お母さんに余命宣告を伝え、ホスピスへの移動の話をすることができました。お母さんも看護経験があり、自分の症状と、家族が呼び出されたことなどから、余命宣告は覚悟していたそうです。
ホスピスに移り、残り少ない家族とお母さんとの時間を穏やかに過ごしていきました。しかし、そんなとき、元々コロナ禍ではありましたが、さらに流行し、病院での面会は1日1人のみ、さらに短時間がルールとなりました。あまりにも酷いですが、理解するしかありませんでした。1日交替で、妻や妻の家族が面会していきました。
義母からの遺言 → 男性育休取得を決意
そんな貴重な面会を、妻にお願いして1日だけ僕がもらいました。そして面会当日、僕は家族を守っていく覚悟を伝えるために病院に向かいました。そこで、義母から「あなたが娘の旦那さんになってくれて本当に良かった。本当にありがとう。これからもよろしくお願いします。娘と赤ちゃんの側にはあなたがいてあげてね。」優しくも重い、願いの込められた言葉でした。
僕は涙が止まりませんでした。余命宣告を受け、肉体的にも精神的にも苦しいはずの義母からの言葉に、強くて優しい親の姿を教えていただきました。僕にとって、それが義母からの遺言になりました。
その日、「僕が家族を側で守り幸せにする!」「優しくて強い親になる!」と心から決意しました。家族を側で守るためにはどうしたらよいか?考え始めました。そして、男性育休を取得すれば、僕が家族を側で守ることができるとたどり着きました。そこから本気で『男性育休』を学び始めました。
男性育休取得までの苦悩
男性育休を独学 → 取得の難易度を知る
育休取得8か月前、義母の遺言に奮起し『男性育休』を取得することを決意した僕でしたが、何をどう学んだらよいのかもわかりませんでした。(今ならSNSを使いますが…)職場に前例はなく、相談できる相手もいませんでした。そのため、まずインターネットで情報収集してみましたが、情報が少なく、何が正しいのかわかりません。
続いて、YouTubeで動画を検索すると、いくつかコンテンツが出てきたので、すべて見ました。男性育休取得経験のある方の動画が多く、かなり勉強になりましたし、リアルな話も聞くことができました。
そして、学んでいくにつれ、とんでもないことに気がつきました。
それは、男性育休の取得率はかなり低く(その当時7.5%)世間ではかなりの少数派の選択だということ。それだけで終わらず、僕のように、1年間以上の長期取得になると、0.5%以下の選択で、到底たどり着けないほどの難易度に感じました。
男性育休を取得することの世間の印象
みなさんは、身近な男性が育休を1年間取得すると聞いたら、どう感じますか?どう答えますか?『素敵だね〜』『優しいね〜』などと、表面上、気を遣ったことを言ってしまうのではないでしょうか 。
しかし、本当に男性育休を理解して、心から肯定してくれる人がいったい何人いるでしょうか?あくまで、僕の受けた印象ですが、男性育休取得は悪役に近かったです。表面上では、肯定してもらえるが、心からの理解はしてはもらえないと思っていました。まだまだ男性育休は理解されなくて当たり前の世の中だと感じていました。
男性育休取得の分厚い3つの壁 + 孤独
ここまで、漠然と男性育休の取得はかなり難しいんだな…わかってきましたが、さらに、男性育休について学べば学ぶほど、取得までの壁は厚く、何重にも重なってそびえ立っていることに気が付きました。その男性育休取得までの分厚い壁について当時を振り返り、3つあげていきます。
まず、1つ目は「前例がない」という壁でした。僕の職場では男性育休の前例がなく、ファーストペンギン(前例のないことに飛び込んでいくこと)として前に進むしかありませんでした。前例がないというのは、想像以上に大変なことでした。なぜなら、誰にも相談できないし、まわりがどう思うのかイメージすらできなかったからです。そのため、毎日ずっと不安でした。そして、「家族のために取るしかないんだから、挫けたらだめだ。」と心の中で自分を鼓舞する日々でした。
次に、2つ目は「情報が少ない」という壁でした。その当時も、男性育休はまだまだ少数派の選択…自分から動かないと情報が見つかることはありませんでした。また、見つかった情報が正しいのかどうかはいつも疑心暗鬼でした。
さらに、職場では男性育休を取得することに、罪悪感や後ろめたさがあったため、誰にも相談もできませんでした。結果、量も少なく確信のない情報しか持てていないことは、とても不安で心細かったことを覚えています。だからといって、家族を守るために、あきらめるわけにはいかなかったため、自分にできることを1つずつ見つけてはやってみる毎日でした。
最後に、3つ目は「理解されない」という、僕にとって最も分厚く高く硬い壁でした。なぜなら、日本で0.5%の人しか決断していない選択をすることは、世間のレールから大きくはずれ、少数派に立候補することだったからです。
当然のように、職場では理解されませんでした。上司から「全員が理解してくれるとは思わないほうがいいですよ。」「あなたを慕っている生徒や保護者の方が、裏切られたと感じるかもしれないですよ」優しい口調で、僕のことを思いやり、言ってくれたのかもしれませんが、僕の心は不安に押しつぶされ、大きく傷つきました。今考えると、このとき僕はパタハラを受けていました。
元々、「家族を側で守るためには、仕事をしながらでは不可能だから、どんなに批判されても、つらい立場になっても、ボロボロになったとしても、男性育休の取得まで突き進むぞ」と、分厚い壁に負けない、強い覚悟で臨んでいました。
そのため、そのときは「辛い…でもこれぐらいのことを言われるのは、わかってたはずだ!家族のために挫けてはダメだ」と気持ちを無理やり切り替えていたので、パタハラと気が付いていませんでした。まるで、夢中で遊んでいた少年が家に帰ってから、膝をすりむいていることに気が付くかのように。
そして、一番僕にとってきつかったのは「家族から理解されない」ことでした。
正確に言うと、肯定も否定もされなかったので、理解されないと思い込んでいました。「俺は、家族のためにこんだけ頑張っている。男性育休を取得し、家族を側で守りたいだけなんだ。なんでわかってくれないんだ…」と何度も嘆いていました。(その時は、自分の心に余裕がなく、相手の立場で考えることができてなかった…)
今考えると、「男性育休のように、まわりに前例がなく少数派の選択をすることは、僕だけではなく、家族全員の決断だから、同じように不安だったんだよな~」と反省しています。
このように、男性育休の取得までに、3つの「前例がない」「情報が少ない」「理解されない」という分厚い壁があった。
そして、さらに状況を悪化させたのが、この3つの壁を「孤独」に乗り越えるしかなかったからです。まさに、取得まではイバラの道でした。助けを求める場所・人もなく、たった一人で男性育休の取得に向き合いました。「まわりからは変人扱いされたとしてもかまわない、すべては家族を側で守るための行動だ!」と心の炎をともし続けていました。
しかし、この熱い想いさえ理解されていない感覚でした。
その当時は、肉体的にも精神的に疲弊していたこともあり、心の余裕がなさすぎて、物事を正しく判断できておらず、四面楚歌に感じていました。
孤独に進むしかなく、本当に苦しかった。途中、何度も心が折れかけました。しかし、お母さんの遺言を心の支えに、傷つきながらも前に進み続けました。そして、家族だけは必ずわかってくれると信じて突き進みました。
『3つの分厚い壁』に『孤独』に乗り越える
ここまで男性育休取得に立ちはだかる『3つの分厚い壁』と、その壁に『孤独』に立ち向かう苦しさについて伝えてきました。当時、どれだけ男性育休取得が難しいことだったのか、わかっていただけたと思います。
ここからは、僕が男性育休取得の『3つの壁』を『孤独』にどうやって乗り越えてきたのかお伝えしていきます。
男性育休取得の難しさを理解したので、分厚い壁を乗り越えるために、前例がなくても、情報がなくても、理解されなくても、孤独でも前に進むために、どうすればよいのか?とにかく考え抜きました。そして、たどり着いたのが「覚悟を決める」「目の前の思いついたことを全部やる!」でした。
今振り返っても、男性育休取得に向け、誰よりも真剣に向き合ってきた自負があります。(今なら、もっと簡単に気楽にとれます。本当に無知はこわいですね。)
その当時、僕が考えていたことをまとめると👇(ほぼメンタル面ですね…(笑))
② お金について学び、(固定費削減)お金の心配つぶす
③ 男性で育休を取る孤独と戦う
④ 周りから理解されない不安に負けない
⑤ 協調性からはみ出て、人と違うことをする罪悪感と戦う
⑥ どんなことがあっても前に進むメンタル
⑦ 自分が決断した道を、正解にもっていく決意
⑧ 批判されても動じない覚悟
など、思いつくことを全部やり、挫けないように覚悟を決め前に進み続けました。
仕事と家事育児をしながら、男性育休を取る準備を、0から積み上げていくこと、批判されるとわかって、傷つきながら前進することは、容易ではありませんでしたし、本当に辛かったです。
さらに、この頑張りが肯定されることは、ほぼありませんでした。(今考えると、僕が気持ちに余裕が持てず、心を閉ざしていたのかもしれません。)キングコングの西野さんが人と違うことをして批判されているのを、ネットニュースで見て感じたことが、まるで自分にも起きているかのようで、世間のレールから外れる怖さを肌で感じました。(少数派ってこんなに怖いんだ…)
このように、育休取得の準備を自分なりにした僕は、家族・職場に男性育休の取得を説得していきました。
男性育休取得を家族に説得
はじめに、家族に男性育休の取得をどう説得したのか?お伝えしていきます。
育休取得7か月前、まず最初に、 男性育休の取得が我が家に必要な4つの理由を伝えていきました。(正直、義母の死を前提とした内容のため、かなりためらいましたが…家族のためには伝えるしかなく、心を鬼にして伝えました。)
2, 母の死の悲しみの中、初めての育児をするのは母子ともに良くない
3, 義母の遺言もあり、僕が家族のそばにいたい
4, 1年間なら、育児休業給付金と貯金で確実に生活できる。
そして、生活ができるかどうか、金銭面の不安も大きいことを想定して、具体的な金額を計算して4つ提示しました。(育休を取得しても、日々の生活が安心してできることを、証明しないと不安が大きいと思っていました。)
2, 働き続けた場合の給料の概算
3, 2-1の差額=半額(働かなくてももらえる)+家族との時間もセット
4, 貯金100万あれば何不自由なく1年間生活できる
最後に、 僕の家族へ対する熱い想いと男性育休の取得まで苦しんでいる現状について、包み隠さず真剣に以下の4点伝えました。(妻は堅実な性格のため、世間の当たり前から外れることが苦手だし、1番避けたい選択だということは、わかっていました。だけど、一緒に歩んでいくには説明するしかありませんでした。)
2, 世間のレールから大きく外れるが、我が家にはベストの選択
3, 妻と一緒に娘を育て、成長が間近で見たい
4, 誰にも理解されず苦しんでいる…不安だと思うが、理解してほしい
そして、説得していきました。
妻への説得
この流れで、まずは妻に男性育休の取得を説得しました。すると、思っていたよりすんなり、男性育休の取得を理解をしてくれました。元々妻も、実家もなく1人で育児をしていくことには不安を感じており、僕が育休取得すること自体は、肯定的に考えてくれていたみたいでした。
ただ、まわりに男性育休を取得して子育てしている家庭がなかったし、金銭面の不安から賛成の意思を示していなかったようです。
「やはり妻はわかってくれた!」心がホッとしたことを今でも覚えています。男性育休は家族の決断のため、妻も同じように不安を抱え、一緒に考え戦ってくれていたことを、初めてそのとき気がつきました。(すぐに気がつかなくてごめんね。お母さんの末期がんのことで、苦しんでいるのに、心に余裕なんてあるわけないよね。そんなに厳しい状況の中、体調管理をして、元気に赤ちゃんを守ってくれて本当にありがとう。それだけでも、僕は妻に感謝しないといけなかった。自分が苦しいからって、そんな簡単なことにさえ、気づけなかった自分が情けないです。)
両親への説得
次に、両親にも同じ流れで男性育休の取得を説得しました。はじめは、かなり驚いていました。それは、両親は「ずっと共働き、おばあちゃんが僕の面倒を見る」というライフスタイルだったので、当然僕も子どもが産まれてからも働くものだと思っていたからだと思います。
ただ、僕がここまで準備を整え真剣に育休取得について伝えたので、熱量も感じ取ってくれたのか、すんなり納得してくれました。さらに、ただ納得してくれただけでなく「なんでも協力するし、応援するから何でも言ってね。よくここまで考えてあげたね。実家がなくなり、男親に頼れと言っても、どうしても奥さんが気を使って難しいだろうし、いい選択だと思うよ。」と温かい言葉をいただきました。本当に嬉しかったし、感動しました。
今までも両親には、ずっと感謝してきたし、尊敬してきました。だけど、「両親のような親になりたい」と改めて思いました。
妻と両親を説得していく中で、男性育休の取得のあまりの難しさに「硬く閉ざしてしまった僕の心」が溶けて開いていくのを感じました。あれだけ孤独に感じていたのは、僕の勘違いで「強大な敵を前にして周りが見えなくなり、自分を支えてくれる味方の存在に、気が付いていなかっただけなのかもしれない」そう思えるようになっていきました。
家族へ男性育休の取得を説得したことで、孤独ではない事実に気が付いた僕は、自信をつけ、次のステップ「男性育休の取得を職場に説得する」に進みました。
男性育休取得を職場を説得
次に、どうやって僕が職場を説得したのかお伝えします。
育休取得6か月前、職場で男性育休を取得した前例はありませんでした。また、県内トップの指導難関校であり、残業も多く、激務が当たり前の職場でした。
さらに、仕事に真剣に打ち込む方が多く、「自己犠牲=正義」の風潮もありました。そんな環境で、男性が育休を取るなんて考えられないし、ましてや先頭に立って引っ張っていく中堅の立場の僕が取るなんてありえないと思われていたと思います。
だからこそ、職場を説得するために、少しずつ計画的に、意図的に2つのことをしました。(制度上取れることは、わかっていましたが、育休復帰後も、必ず元の職場に戻るため、少しでも同僚たちに納得感を持ってもらい、戻りやすい雰囲気も作っておきたいと考えていました。)
まず1つ目に、僕が男性育休取得を希望していることや、家族を大事にしていることを、仲の良い同僚に少しずつ伝え、「家族優先キャラを確立」できるように動きました。例えば「今、妊娠8か月過ぎで、出産に向けて育児グッズを見て回り買いあさっているんだよね。」など日々伝え、「イクメンだね~。いいパパになりそうだね」など言ってくれました。(まさに、根回しです。)その中で、同時に我が家が育休を取ったほうがいい理由も「義母が亡くなったら、妻の実家がなくなるから、1人で育児するようになるし、そばにいてあげたいと思っている」などと伝え、同僚も「それは、育休とってあげたほうがいいかもね」といってくれました。
そして2つ目は、家族優先キャラを確立しながら、同時に担当の仕事の「仕組み化(マニュアル化)」することにより、仕事をスムーズに引き継ぐ準備もしました。その当時、経験年数約10年だったので、任される仕事も多く、取りまとめるような仕事(僕がいないとできない仕事(属人化))も抱えていました。僕にしかできない状態では、育休もとりにくいし、引継ぎにも苦労すると感じていたので、「新人でもできるように」をコンセプトに、仕事を簡略化し、データにまとめました。
このように、「家族優先キャラを確立」「仕組み化(マニュアル化)」することで、職場で前例のない「男性育休」を取得するための土壌を自分で作り上げていきました。(この方法が正しいのかわかりませんでしたが、その当時は思いついたできることを、ただ愚直にやっていました。)
上司への相談
その後、男性育休取得の土壌ができつつあると感じたあたりで、上司に育休取得の相談にいきました。
伝えた内容としては
「今年度いっぱい(3月末)勤め、その後育休を半年とりたいと考えています。」(当初は半年希望でしたが、相談する中で1年間になりました。)「仕事の引継ぎは、簡略化してデータにまとめてあるので、スムーズにできます」「教員の仕事も生徒も大好きですが、今は家庭を優先するしかない状況なので、苦渋の決断ではありますがお願いします。」以上3点を伝えました。
大きな不安の中、どきどき返事を待ちました。結果「あなたの家庭の状況もわかっていますし、わかりました。」「来年度から代わりの先生が来てくれるように手配しますね。」「代わりの方が見つかったらまた伝えます。」と言っていただき、すんなり育休取得を承諾していただきました。緻密に計画して、話して本当に良かった!そう思いました。
しかし、この直後とてつもなく不安な気持ちになる言葉をいただきました。「ただ、みんながみんな育休取得を理解してくれるとは、思わないほうがいいですよ。」「あと、あなたを慕っている生徒や保護者の方が裏切られた気持ちになるかもしれないから、言動や行動は考えてくださいね。」……優しい口調でしたし、僕を思いやり言ってくださった言葉だということは、その場でも理解していました。
しかし、家族のための選択をしているだけなのに、なんでそんなこと言われないといけないのか?僕の心はモヤモヤでいっぱいになりました。しかし、どんなに苦しい状況になっても突き進む!と心に決めていたので、グッと堪え、笑顔で「わかりました、ありがとうございました。」と返答しました。
なんとか、男性育休取得の承諾をいただくことができ、ホッとしたのも束の間、すぐに、次の試練が待ち受けていました。
男性育休取得するまでの負の感情
それは、僕が生徒も仕事も大好きだったことによる「罪悪感」「裏切り」「見捨てる」など後ろめたい気持ちが常に付きまとってくることでした。こればかりは、意識してもすぐに拭えることではありませんでした。対処法は、「生徒のために、できることを全力でやり切る」ただこれだけでした。
その一つとして、修学旅行がコロナの影響で中止になり(コロナが少し収まったときに、日帰りでプチ修学旅行を実施しました。)肩を落とす生徒たちのために、僕が務めている学校の卒業生に「Official髭男dism」のメンバーの方がいると聞き、所属事務所に直接メールを送り「オンラインでのサプライズ登場」を依頼しました。結果としては、同じような依頼が多くきていたようで承諾していただけませんでした。しかし、できることをやってあげられたことには満足していました。
義母の危篤の知らせを
育休取得まで日々全力で頑張っていた、そんなある日、僕が「教員をやめたい」と思うできごとが起きました。その日は、いつも通り生徒間のトラブル対応をしていました。僕が対応の指揮を取っていた日で、特に問題なく解決までいったつもりでした。
しかし、批判の多い地域性もあるため、上司が「解決はしているが、のちのち大きな火種になる可能性があるから、もう少し重い事案の対応に切り替えてください。」いってくれました。正直、僕としては「全く必要ない!」と思っていましたが、断れず重い事案として対応し始めました。それが、夕方5時でした。案の定、もう解決している問題だったので、生徒も保護者も「ポカン」としていました。
すべての対応を終え、ホッとしたのが夜8時、その時ケータイを見ると、妻からLINEが届いていました。15時過ぎに届いていたそのLINEの内容は「お母さんが危篤、病院から呼ばれた」という内容でした。
職員室にまだたくさんの同僚もいましたが「俺は何をしとんな、妻が大変な時に側にいてあげられないなんて、情けない、ごめん…」と、泣きながら叫んでいました。
元々、解決していた話を無駄に大きくしただけの無駄な時間だったため、その不毛さにイラ立ちが隠せませんでした。心の中では「もう教員なんてやってられない…」と本気で思ってしまいました。すぐに、妻に連絡を取り、家に飛びかえりました。
この一件で改めて「絶対、家族の大事な場面には、側にいてあげられる人でいたい」と思うようになりました。また、教員という仕事の選択肢しかないことを、不安に思ったのもこの時からでした。自分に知識やスキルがあれば、「家族を側で守ってあげられる」職業や起業も含めた選択もできる!と考えが大きく変化しました。
その数日後、義母は亡くなりました。病院の先生から「余命よりかなり長くがんばってくれました。どうしても、孫を抱きたかったみたいです。」と言われました。たくさんの人に愛され、望まれて産まれてくる我が子を、親として守りたい!とさらに、強く決意しました。
娘の出産「チキン南蛮弁当大盛り」
2022年2月、ある日の夜、陣痛が始まり、かかりつけの助産院へ車を走らせました。即入院が決まり、コロナ禍で立ち合い出産ができなかったので、すぐに家に帰るしかありませんでした。
次の日、病院の先生から「出産は次の日の夕方ぐらいになるだろう」と言われていたので、午前中のみ、学校で仕事をして、昼から早退しました。ただ、早退してもソワソワした気持ちが収まらず、近所のこども園に行き「今、僕にできることは何かありませんか」と聞きました。
すると、園の先生が「正直、今できることはありませんよ。その気持ちだけで十分です。たくさん食べて、寝て元気に2人を迎えてあげてください。」といってくださいました。少し心が落ち着きました。
アドバイス通りたくさん食べよう!と思い、近所の唐揚げ屋さんで大好きな「チキン南蛮弁当大盛り」を注文しました。出来上がりを待っていると、妻から電話がきました。これから分娩室に行くのかな?と思い、出てみると、
電話の後ろから「おギャー」と泣き声が聞こえました。「まさか!もう産まれたの!!」そのまさかでした(笑)。急すぎて心の準備ができていませんでしたが、本当に嬉しかったことを今でも覚えています。
そして、娘が生まれた感動で、半泣き状態で「チキン南蛮弁当大盛り」を店員さんから受け取り、幸せな気持ちで完食したことは、僕にとっては大切な思い出になっています。
男性育休取得までは本気で仕事をやり切る
2022年4月から男性育休を1年取得する予定だったので、娘が産まれてからの2か月は仕事も悔いのないように、全力でやり切りました。具体的には、「仕事の仕組み化をしたもので、次の担当に引き継ぐ」「残り2か月だからと言って、手は抜かない。
むしろ120%でやりきり、応援される人になる」「生徒には、嘘をつかずありのままを伝え、育休取得を納得してもらう」など最後まで頑張り 抜きました。その姿勢を評価してくれたのか、生徒や保護者の方から「育休頑張ってください。」「家族を大事にする姿がすてきです」など応援のメッセージを多数いただきました。ここが1番不安だったので、本当に嬉しかったし、安心しました。
そして、同僚の方たちにも、納得されなくてもいいから、職場の方にも育休取得の理由や思いを伝えました。すると、「家族のほうが絶対大事」「一緒に学校をよくしていきたかったから残念だけど、応援してるよ」など温かい言葉をいただきました。中には、納得できない表情の方もいましたが、それは仕方ないと思います。
そして、この学校での最後の仕事は決めていました。それは「ごみ拾い」でした。なぜかというと、4年間の初任を終え、転勤でこの学校に来た1年目、1年間毎日欠かさず朝早くに出勤し「ごみ拾い」していました。僕が初心に戻りたいときや、感謝を伝えたいときは必ず行います。だから、最後に校舎内のごみを拾い尽くし、男性育休をスタートしました。
ここまでご覧くださりありがとうございます。
少し重たくお堅い話ばかりでしたので、少し休憩👇
趣味や特技 好きな食べ物
趣味 サッカー 筋トレ 登山 温泉 読書
特技 継続 チャレンジ 前向き 凡事徹底
好きな食べ物 唐揚げ サーモン ラーメン
男性育休が気楽にとれる世の中に!
社内初の男性育休取得。
前例がなく、情報もサポートもない中、苦しみながら、孤独に育休取得まで、突き進みました。
周りの理解もなかなか得られず、パタハラにも悩みました。
家族のための選択に、なぜここまで辛い思いをしなければならなかったのか。と、考える中で、次第に、僕と同じように苦しむ人を、一人でも減らしたい・救いたいと思うようになりました。
ブログを通じてお伝えしたいことは、
「仕事・職場」「お金」「必要性」男性育休取得時の3大不安に対して、
【知る】【準備する】【考え方】3つのアプローチで迫る『男性育休不安解消クラス』を通して、昔の自分のように、苦しみながら男性育休を取得する人を一人でも減らしたい。力になりたい。
そして、「男性育休が気楽にとれる世の中に」したい。
男性育休取得までの不安解消をしてほしい
まだまだ男性育休は少数派の選択。
前例も少なければ、理解も薄い。さらには、批判されることも多いかと思います。だからといって、制度があるのに、家族のための選択を選べないのは、間違っている。
だからこそ、男性育休の知識を正しく 【知る】【準備する】【考え方】 を学ぶことで、世間体や、慣習に流されることなく、本当の意味で『男性育休』を選択肢に入れてほしい。
そのために「男性育休不安解消クラス」を(本サイト)を立ち上げました。
迷い・苦しみ、悩んでいる方が、僕のサイトで男性育休不安解消してほしい。力になりたい。
よろしくお願いします!!!
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
『男性育休が気楽にとれる世の中に』
するために情報発信しています‼️
ただ、個別に質問や相談できる環境があれば
男性育休の孤独を感じる人が減ると思い、
【公式ライン】はじめました😁
(育休取得前の孤独で辛かった自分に向けて作りました💦)
気になることが有れば
何でも聞いてください‼️